カイロの安食堂

 カイロで仕事をしていたとき、とても面白い男と知り合いになった。名前を仮に佐々木とする。佐々木は、バックパッカーの沈没組で、それまでも世界各地で生活していた。インドネシア語、中国語なども流暢に話した。生活しながら自然習得したらしい。アラビア語もこなしていた。語学の天才だと思った。

 佐々木は、初め日本人バックパッカー御用達の安宿サファリホテルに泊まっていたが、そのうちインババに下宿した。

 この男がある日事務所に来て、うちの近くにチキンのうまい店があるからいっしょに行こうと言う。それで、職場の同僚とエジプトの大学に赴任したばかりの若い女の先生を誘って出かけた。

 インババは、ナイル川西岸の庶民街で、ふつう外国人が出入りするようなところではない。ところが佐々木は家賃を節約するためにこの街を選んだ。外周の道まで車で行き、そこから街の中に歩いて入る。アラブの旧市街は道が狭く、車は入れない。しかも路地が複雑に入り組んでおり、道のわかっている人と行かないとあっという間に迷ってしまう。

 ここもそんなところだった。路地を歩いていくと、カイロ市内だというのに、洋装の人はほとんどいなくなる。男は白の、女は柄物のガラベーヤというアラブの民族衣装を着ている。

 この路地を歩くのは私にはとても面白い体験だった。暑いので、狭い路地の両側の家はみんな窓が開いている。中には、ミシンをかけている女、テレビを見ている男。いろいろな生活が垣間見える。

 歩き始めてほんの数分で子供たちが私たちの後をついて歩き始めた。歩くに連れてその数は20人を超え、さらに増えていった。そのうち、手拍子でリズムをとって地元サッカーチームの応援を始めた。お祭りのような騒ぎになった。

 それまでに1年生活してきたので、カイロが安全な街であることはわかっており、治安面での恐怖はない。ただ、着任したばかりの女の先生を連れてきたのは後悔していた。ここは、彼女たちにはちと刺激が強すぎる…

 私たちは迷路の奥へ奥へと進んだ。子供たちは私たちの後をぞろぞろとついてきた。20分ほど歩いて、いったいどこまで行くのかとやや不安になり始めたころ、路地の奥に小さな広場が見えた。広場といってもひどく殺風景なところで、木の一本も生えているわけではない。廻りはすべてくすんだ茶色の建物で囲まれていた。

 その広場に私たちが目指していたレストランがあった。ふつうのビルの1階の薄汚いところ。みんなでぞろぞろとそちらへ向かって歩く。私たちは住人たちの好奇の目に曝される。

 レストランの中に入ると、ジャリジャリと音がする。何かと思って下を見ると、床には鶏の骨が敷き詰められている。これは意図的にやったことなのか、それとも長年食い散らかされた鶏の骨を床に捨てているうちに自然にそうなったのか?

 だんだんいやな予感がしてきたが、乗りかかった船と思い、席に着く。プラスティックの丸テーブルは安っぽい派手なビニールの「テーブルクロス」で覆われているが、それも薄汚れ、あちこちにタバコの焼け焦げがある。いすもプラスティック。太った人が座ったらあっという間に潰れてしまいそうな安物。

 店を切り盛りしてるのは、中年のオヤジ二人。二人ともご先祖様がカイロ考古学博物館にいそうな、典型的なカイロ辺のエジプト人の顔立ち。真っ黒な、ぶっとい芋虫みたいな口髭を生やしている。

 私の座った席は店の奥に置かれた大きな扇風機からの風が吹き付けてくるので涼しいが、問題はその前で店のオヤジがたまねぎを切っていることだった。目が痛い。涙が止まらない。店は満員で他にテーブルはない。同じテーブルについた誰かに変わってというわけにもいかず、そのまま我慢する。

 チキン、サラダ、アイェーシ(エジプトパン)と紅茶を注文する。まずサラダを男の子が持ってきた。好奇心むき出しで、ニヤニヤしながらサラダを差し出す。ふとその手の平を見ると、大きな擦過傷がある。つい最近の怪我のようで、まだかさぶたもできていない。血が固まっているだけ。これでサラダを食べる気は一気に失せる。女の先生たちもそれを見ていたようで、サラダには口をつけようとしない。佐々木だけが一人でパクパクと食べている。私たちが口をつけようとしないのを見て、怪訝な顔で、「どうして食べないんですか?うまいですよ。」と言う。

 店のオヤジがたまねぎを切り終わる。ほっとした。ところが、扇風機の前にはゴミ箱があり、こんどは生ごみの臭いが私に吹きつけてくる。これは、たまねぎのほうがまだよかったと思う。

 ローストチキンが来た。恐る恐る口に運ぶと、これがうまい。肉の味が違う。水気があり、こくがある。KFCなどよりはるかにうまい。もしかしたら、この広場を走り回っていた鶏をつぶしたのかもしれない。エジプトの鶏は日本よりうまいと思っていたが、特にここの鶏はうまかった。結局これは全部食べた。安物のアイェーシには、よくタバコの吸殻とか、切ったつめとか、いろんなごみが入っていることがあると聞いてきたので、注意しながら食べる。

 紅茶はいつもの黄色いリプトン。エジプト人はPの音がBになってしまうので、みなリブトンと発音する。

 会計を頼むと、一人200円しなかった。都心の半分くらいの値段だった。

 食べ終わると、歩いて車まで帰る。物見高い悪ガキどもがまたぞろぞろとついてくる。

 街への入り口に立って、私たちを待っていた運転手たちがジューススタンドでサトウキビジュースをおごってくれた。それを飲んで私たちは家に帰った。

 この後、女の先生たちは1週間ほど下痢に悩まされたそうだ。着任直後の下痢を日本語では「カイロ腹」という。英語では、 “Welcome bowels(ようこそ下痢)”

 私は着任から1年以上経っていたのでなんともなかった。