マルワ

 エジプトでは、本来の仕事のほか、週に一度ある大学の外国語学部日本語学科に出講していた。

 その学部はエジプトの大学の中で最難関の一つで、特に日本語学科は、その中でも一番難しかった。だから、そこで日本語を学ぶ学生は文科系ではエジプトのthe cream of the creamで、みんなとてもまじめに勉強した。

 でも、中には問題のある子もいた。例えば、マルワ(仮名)。最初は、もう一人の子とつるんで、私の授業のとき、ずっとおしゃべりをしていた。また、私のことをばかにしているようなそぶりも垣間見えた。

 見かねて、きびしく注意したら、それからすっかり態度が改まった。この子達はまだ人間的に未成熟で、自らを自らの力だけできちんと律することができない。どこまでやれば私が怒るか、私を試した。教師が怒らなければ、問題行動はもっとエスカレートしただろう。

 でも、私はきっちりとタガをはめた。すると、その中で安心して、まじめにふるまうようになった。

 それでも、マルワは感情の起伏が激しく、やや扱いにくい子だった。対応にはかなり気を使った。彼女の親は、彼女に対して厳しすぎたか、甘やかしすぎたか、どちらかだろうと思った。

 私が担当していたのは作文だった。毎回、テーマを与え、それについて書かせて添削して返す。返すとき、子供っぽいかとは思ったが、優秀なものには、日本の小学校などで使う「よくできました」のスタンプを押した。

ある日、作文を返した後、マルワが私のところに来た。「先生、私の作文は間違いが少ない。『よくできました』をもらったリハームより少ない。それなのにどうして『よくできました』がもらえないの?」

 それで私が説明した。「いいかい、マルワ、おまえの作文は私がお手本として渡した作文とほとんど同じじゃないか。ただ、ちょっとことばを変えただけ。それじゃあだめなんだよ。お手本を参考にして、自分で考えて、自分の作文を書いてごらん。」

 そう説明すると、マルワは「わかった」と言って自分の席に戻っていった。

 そのとき私は教卓で別の仕事をしており、机の上に目を落とした。それからちょっとして目を上げると、マルワが泣いていた。そして、隣の子がマルワを慰めていた。

 私はびっくりした。「よくできました」がもらえなかったと言って、日本の大学生が泣くか?

 次に作文の課題を提出したとき、マルワは言われたように自分で考えて作文を書いてきた。あまり上手ではなかったけれど、まあいいか、と思って「よくできました」のスタンプを押してやった。

 作文を返すとき、マルワはちょっと緊張していた。私が作文を渡すと、「よくできました」のスタンプが押してあるのを見てとてもうれしそうに笑った。そして原稿用紙をひらひらさせながら自分の席に帰った。

 これももう20年以上前のこと。