パプアニューギニアでの仕事

 パプアニューギニアPNG)への赴任は1992年から1994年まで。JICA専門家として、首都ポートモレスビーから40キロ離れたジャングルの中にあるソゲリ国立高校に日本語教師として赴任した。

 熱帯への赴任と聞いて、プールサイドのデッキチェアに横たわり、指を鳴らしてウェイターを呼び、ジントニックのおかわりを注文しているところを妄想したが、実際のパプアニューギニアはたいへん治安が悪いうえ、マラリアの跋扈(ばっこ)する瘴癘(しょうれい)の地でもある。しかも特筆すべき娯楽もなく、自分で何かを見出さなければ退屈なことこの上ない。

 PNGの社会文化は日本のそれと比べ、「異文化性」が極大である。だから、PNGで生活する日本人たちにこの国の社会と文化は強烈な印象を与える。多くのPNG経験者は、それまでの人生をPNGでの生活とそれ以外に分けて考えるのではないか。筆者は海外7か国で生活したが、PNGでの2年にわたる経験は筆者の人生の中で聳立(しょうりつ)している。

 普通の人に2年PNGに行ってました、と言っても、「ああ、そうですか」と特に反応はないが、JICAの人に同じことを言うと、PNGのたいへんさをよく知っているので、「ああ、それはどうもご苦労様でしたあ。」と、ムショ帰りのヤクザのように労われる。

 

  筆者はパプアニューギニア日本語教育に関し、次の本を出版した。

 『パプアニューギニア日本語教育:40年の軌跡とその意義』

 荒川友幸、長岡康雅、西村祐二郎 編著

 デザインエッグ社 ¥2420