ブルネイでの仕事

 ブルネイにいたのは1995年から1999年まで。国際交流基金派遣の日本語教育専門家として在ブルネイ日本国大使館付属日本語講座の運営を任された。日本大使館の1室を執務室としてもらい、そこで授業の準備などの業務をした。大使館講座の授業は夜7時から9時まで。勤労者や大学生などいろいろな人たちが集まった。

 その後赴任したエジプト、カイロにも大使館講座はあった。これらの講座は資金の流れに問題があるという理由で順次閉鎖された。

 私は単身赴任だったので学生たちと友達になり、うちでパーティーをしたり、みんなで遊びに出かけたりした。独身時代に戻ったように自由を謳歌した。

 日本語講座の専任は私だけで、それだけでは教員が足りないので在留邦人で志のある人にボランティアとして来てもらった。その人たちに若干の謝礼を払った。私がもらう月300ドルほどの業務費では足りず、学生が増えれば増えるほど私の持ち出しが増えるというやや残念な状況になった。

 私は、ブルネイ在勤時代に電子メールを使い始めたが、基金本部との連絡手段は国際電話だけだった。国際電話の料金は高額なので、その使用は重大な場合のみに限定されていた。ちなみに、この時代、基金本部への報告は1年に1度の年次報告のみで、ほとんど「野放し状態」だった。もちろん、だからといって仕事の手抜きはしなかった。その後、基金でもインターネットが利用されるようになると、四半期ごとの定期報告と1年ごとの年次報告の提出が義務化された。私がブルネイに勤務したのはインターネット普及直前の牧歌的な時代であった。