カザフ人インテリのロシア語愛憎

 カザフスタンでカザフ語は国語、ロシア語は公用語として扱われる。ただし、カザフ語は世俗語で抽象的な語彙を持たない。そのため、科学技術などの専門用語を一から作り出す必要がある。公教育制度で「カザフ語学校」、「ロシア語学校」があるが、「カザフ語学校」でも学生たちがロシア語を理解することが当然の前提となっており、参考文献などはロシア語のものが提示される。このため中国語、カザフ語バイリンガルでロシア語がわからない中国から帰国したカザフ人の子女は苦労する。

 カザフ人は学歴が高ければ高いほどロシア語を流暢に話す。教育はロシア語で行われるので高学歴の人はロシア語に長く曝され上手になる。ロシア語はインテリの言葉である。

中国からの移住者は、たとえ博士であってもロシア語が話せないというだけで特に高等教育機関で下に見られる。

 世俗語と公教育のための言語が乖離するダイグロシアの状況はカザフスタンに限ったことではない。植民地時代の台湾でも同じようなことがあった。また。スリランカシンハラ語と英語にも同様の関係がある。

 一方、カザフ人インテリのカザフ語、ロシア語に対する感情は極めて複雑である。彼らはアイデンティティの一部としてのカザフ語に強く執着する。カザフ語ナショナリズムである。一方、ロシア語は彼らのエリート意識を裏書きする。こうして彼らは2つの言語に対し、ambivalentな価値観を持つ。

 私はカザフスタン日本人材開発センターの日本語部門を仕切っていた。その一セクションである日本語教育部門は勤労者、学生に夜間日本語学習の場を提供し、あわせて薄給の大学教員にさらなる収入の機会を提供した。

 この授業でとても流暢にロシア語を話せるのに、カザフ語ナショナリズムに凝り固まりカザフ語だけで授業を行う教員がいた。ロシア語しか話せない学生が「先生、ロシア語で説明してください。」と頼んだら、「あんた日本語勉強する前にカザフ語勉強しなさい。」と言い放ったそうだ。

 私は困ったことになったと思った。私は日本の政府機関に所属しており、私の言い方がカザフスタン政府の言語政策への批判だと当該教員が判断した場合、外交問題に発展する可能性がある。

 私は問題の教員を呼び出し、静かに言った。

 「私はカザフ語ナショナリズムを支持する。言語は民族のアイデンティティであることはよく理解している。しかし教室でカザフ語だけで授業をするのはやめてほしい。ロシア語しかわからない学生もたくさんいることに配慮してほしい。」

 ただし、これは私がカザフスタンに赴任していた2004年から2007年に見聞したことに基づく記述である。

 カザフスタンはカザフ語のキリル文字による表記を2025年までに全廃し、ローマン・アルファベットに置き換える。

 私が2010年にジョージアに出張したとき、中年以上の人はロシア語を流暢に話すのに対し、若い世代は英語を志向しているのに気付いた。

 カザフスタンでも10年以上遅れて同様なことが起きているかもしれない。

 その後2010年にモスクワに赴任した。モスクワの市内を散歩しているとアーカイブとの銘板のある巨大なビルに行き当たった。ここにカザフスタンを含むソ連邦のロシア語で書かれた国の過去の膨大な記録があるのだと思い、感慨深かった。