台北の喫茶店で

 台北の喫茶店で友人と話していると向こうの方から日本語が聞こえてくる。あれっと思って声のする方を見ると、年配の上品な女性たちの集団が台湾語で会話をしているのが目に入った。空耳かと思って再び友人との会話に集中してしばらくすると、また日本語が聞こえてくる。件(くだん)の集団を見ると今度は日本語で話している。そちらにやや注意を向けていると、ご婦人の中の一人が例えば台湾語から日本語にシフトさせると他のご婦人方もそれに付き合う。そのようにしてコードスイッチが起きていた。

 あの老婦人たちは植民地時代の“良家の子女”たちで日本語を台湾語と同様に流暢に話すことができた。

 あれからすでに30年。あの場にいた方々は、もうほとんど鬼籍に入っていることだろう。

 ダイグロシアの状況で高学歴であればあるほどH変種の流暢度が増すのは当然のことである。一方、同じ状況下で、高学歴の人たちはナショナリズムと自身のH変種の流暢さの狭間でそれらの言語に対し、鬱屈した感情を抱く。

 私はカザフスタンでカザフ語とロシア語の間で揺れるインテリたちの複雑な想いを目撃した。私に時間が残されていれば、いずれそれについても書きたい。