馬に揺られて無名峰登頂


 アルマティの南には4000m級の山々を擁するザイリスキーアラタウ山脈がそびえている。私は週末よくこれらの山に登った。高山病に耐えながら岸壁を攀じ登るハードな登山であった。でも、たまに低い山でハイキングをすることもあった。
 ある日、私はアルマティの郊外のイシック谷へ行き、そこに駐留している兵士と交渉して、2000テンゲ(1800円くらい)で近くの山まで案内してもらうことにした。私も兵士も騎馬で千数百メートルの山に向かう。そこは密猟防止のパトロールのルートになっているとのことである。
 馬は道なき道をずんずん登っていく。ほとんどは草叢でなんのことはないのだが、ときどき灌木の中を通るときがたまらない。馬は乗り手のことなど斟酌してくれないから、枝の密集したところに平気で突っ込んでいく。半袖の私は腕のあちこちを木の枝でひっかかれ、悲鳴を上げる。

頂上直前の急斜面では馬は登りたがらず、すぐ立ち止まる。こうなると、馬との意地の張り合いである。こちらが妥協しないと、馬は「しょうがねえなあ」と動き始める。

 頂上に着いたのは、登り始めて1時間半ほど経ったときだった。その頃から雷鳴が轟くようになり、急に曇って、雨が降り始める。ちょっと休んですぐ出発。
 頂上直下で兵隊が道を見失ってしまい、山腹の獣道に行き当たるまで急斜面をまっすぐに下る。馬を引いて下るから、私の肩のあたりにいつも馬の頭があり、首筋に馬の荒い息遣いを感じる。馬が私のすぐ後ろで滑ったら私は押しつぶされてしまうなあと思うが、他に方法がないからそのまま下るしかない。
 雨は断続的に降り続き、雷鳴が徐々に大きくなる。冷たい突風が吹き始め、気温がどんどん下がるのを感じる。さっきまでの晴天が一転、黒雲が空を覆う。それでも私たちはさらに山の奥に分け入る。馬はどこへ行くかを知っているようで、緩やかな斜面をのんびりと登っていく。新たな稜線が現れ、その直下にキンバイのお花畑がずっと広がっている。
 雷雲に覆われ、薄暗い中で、キンバイの黄色い花々が自ら光を発しているかのように明るく輝いている。とても幻想的な光景であった。以前読んだ臨死体験の本にこんな情景が書いてあったなと思った。そのうち馬が小さな川を渡った。ありゃりゃ私は三途の川を渡っちゃったのかと思った。
 まもなく稜線に到着。そこからはイシックの街がはるかに俯瞰できた。
 この辺りで激しい雷雨になりしばらく雨宿り。雨が小降りになったところでのんびりと来た道をたどり、イシック谷へ戻った。この頃には空はまた晴れ上がり、爽快な夏の日に戻っていた。