ブルネイの家

 発展途上国では、全般的な生活環境には困難がたくさんある。ただ、住環境だけは日本よりもずっとよくなる場合が多い。私が住んだ一番大きい家はブルネイの家で、大家に家の大きさを聞いたら、敷地が0.5エーカーで建坪が400平方ヤードとか言われた。後で調べたら、敷地500坪、建坪100坪だとわかった。

 1階は大きな居間、ダイニングルーム、台所、メイド部屋、車庫があり、2階には大きなホールと客用寝室2つと主寝室が一つあった。初めての晩は主寝室が広すぎて、ベッドも大きすぎて、広場恐怖のような心情に陥り、なかなか寝付けなかった。

トイレは全部で3つ(メイド部屋のものを除く)1階に一つ、2階には客用一つと主寝室付属のものが一つ。2階の客用トイレにはシャワーも付いていた。主寝室のトイレにはバスタブとシャワー。

 夜中、のどが渇いて寝室から台所へ飲み物(大好きなシュウェップストニックウォーター)を取りに行くと、途中で渇きのために行き倒れになりそうだったので、小さな冷蔵庫を買って2階のホールに置いた。

 ドリアンという果物がある。すさまじい悪臭だが、果肉は濃厚なクリームのようで、慣れるとやみつきになる。私もドリアンに憑りつかれ、シーズンにはよく買って台所の冷蔵庫に入れた。驚いたことに、台所と主寝室はとても離れているのに、冷蔵庫にドリアンが入っていると、主寝室にまで臭いが漂ってきた。さすがドリアンと思った。

 ブルネイでは日本大使館の日本語講座を統括していた。この家に学生たちを呼んでよくパーティーをした。娯楽の少ないところなので、学生たちは喜んでやって来た。大使に頼んで公邸の料理人に来てもらい、「日本料理教室」をやったこともある。

 日本語に実用的な価値のない地域では、教員はただ日本語だけを教えているのではない。教員の教室内外の活動を通して、日本語学習を目的とした知的仲良しサークルを形成するよう心がけるべきだ。それが功を奏すると日本語クラスは自律的な活動を始めるようになる。「弾み車」が回り始めるのだ。そうなればしめたもの。集まってくる人の多くは、学校の先生、医者などインテリなので、地域に影響力を持つ。そういう人たちが日本を好きになってくれれば、親日層の形成という日本語講座設置の大きな目的が果たされることになる。


 余談だが、ブルネイで家を探していたとき、不動産屋といろいろな家を見に行った。その中の一つに平屋の大きな家があった。その家の居間に入ったとき、暑いところなのに背筋がぞっとした。気味が悪かった。あの家は借りる気がしなかった。たくさん引っ越して、ずいぶんたくさん家を見たけど、こんなことは後にも先にもこの1回だけ。