ロシアでの仕事
モスクワは国際交流基金での最後の任地だった。赴任したのは2010年から2013年まで。
ロシア各地、および周辺国の日本語教育の活性化支援が主な業務であったので、本当にいろいろなところに出張した。それを改めてリスト化したのが次。ロシア以外の都市に出張した場合、国名を( )の中に入れた。出張をした都市の数は東京を含めると41。モスクワに行くまで聞いたことのないような都市にもたくさん行った。
10年11月リャザン
10年12月オレンブルグとサンクトペテルブルグ
11年2月クラスノダールとクラスノヤルスク
11年3月エカテリンブルグとノボシビルスクとリャザン
11年4月イルクーツクとニジニノブゴロドとリャザン
11年5月リャザンとロトストフナダヌー
11年5月東京
11年9月エレバン(アルメニア)とサンクトペテルブルグ
11年11月ペルミ
11年12月カザンとニジニノブゴロド
12年2月アストラハン
12年3月ノボシビルスク
12年4月ニジニノブゴロドとリャザン
12年5月クラスノヤルスクとリャザン
12年11月オレンブルグ
12年12月カザンとペルミ
13年1月キシナウ(モルドバ)
13年3月アシガバット(トゥルクメニスタン)とノボシビルスク
13年4月ニジニノブゴロド
13年5月リャザンとサラトフ
出張したのは主に各地の大学。大学の開講期間にできるだけ多く訪問するため、1か月に3回出張に出かけたこともあった。A rolling stone gathers no moss.
カザフスタンでは週末山登りやスキーにでかけ、余暇はもっぱらアウトドアを楽しんだが、ロシアではアフター5に、ボリショイ劇場(モスクワ)、マリンスキー劇場、ミハイロフスキー劇場(サンクトペテルブルグ)などに通い、バレエやオペラの観劇を楽しんだ。
麻疹と挫折は…
高麗大学で
ソウルで仕事をしていたとき、私といっしょに仕事をした人がいた。その人は私の元教え子で、家族ぐるみの付き合いがあった。
その人のご主人は、両班の由緒正しい家柄に生まれ、本人もたいへん有能な人で、それまでの人生はずっと順風満帆だった。
いい学校を出ていい大学に入り、財閥系の大企業に入って、とんとんと出世してきた。
ところが、私がソウルにいたころ、その人は40を遥かに過ぎたところで、生まれて初めての挫折を経験した。
その会社で史上もっとも若い重役に昇進するはずがなれなかった。
私たちから見ればたいしたことではないのだが、その人にとっては大変なことだったらしい。
ひどく落ち込み、会社を辞めることも考えていたようだ。
その人のようすを見て思った。私たちの人生にはもちろん成功が必要だが、同時に、若いときに挫折を体験することも絶対に必要だ。
ハシカと挫折は早ければ早いほどいい。
馬に揺られて無名峰登頂
アルマティの南には4000m級の山々を擁するザイリスキーアラタウ山脈がそびえている。私は週末よくこれらの山に登った。高山病に耐えながら岸壁を攀じ登るハードな登山であった。でも、たまに低い山でハイキングをすることもあった。
ある日、私はアルマティの郊外のイシック谷へ行き、そこに駐留している兵士と交渉して、2000テンゲ(1800円くらい)で近くの山まで案内してもらうことにした。私も兵士も騎馬で千数百メートルの山に向かう。そこは密猟防止のパトロールのルートになっているとのことである。
馬は道なき道をずんずん登っていく。ほとんどは草叢でなんのことはないのだが、ときどき灌木の中を通るときがたまらない。馬は乗り手のことなど斟酌してくれないから、枝の密集したところに平気で突っ込んでいく。半袖の私は腕のあちこちを木の枝でひっかかれ、悲鳴を上げる。
頂上直前の急斜面では馬は登りたがらず、すぐ立ち止まる。こうなると、馬との意地の張り合いである。こちらが妥協しないと、馬は「しょうがねえなあ」と動き始める。
頂上に着いたのは、登り始めて1時間半ほど経ったときだった。その頃から雷鳴が轟くようになり、急に曇って、雨が降り始める。ちょっと休んですぐ出発。
頂上直下で兵隊が道を見失ってしまい、山腹の獣道に行き当たるまで急斜面をまっすぐに下る。馬を引いて下るから、私の肩のあたりにいつも馬の頭があり、首筋に馬の荒い息遣いを感じる。馬が私のすぐ後ろで滑ったら私は押しつぶされてしまうなあと思うが、他に方法がないからそのまま下るしかない。
雨は断続的に降り続き、雷鳴が徐々に大きくなる。冷たい突風が吹き始め、気温がどんどん下がるのを感じる。さっきまでの晴天が一転、黒雲が空を覆う。それでも私たちはさらに山の奥に分け入る。馬はどこへ行くかを知っているようで、緩やかな斜面をのんびりと登っていく。新たな稜線が現れ、その直下にキンバイのお花畑がずっと広がっている。
雷雲に覆われ、薄暗い中で、キンバイの黄色い花々が自ら光を発しているかのように明るく輝いている。とても幻想的な光景であった。以前読んだ臨死体験の本にこんな情景が書いてあったなと思った。そのうち馬が小さな川を渡った。ありゃりゃ私は三途の川を渡っちゃったのかと思った。
まもなく稜線に到着。そこからはイシックの街がはるかに俯瞰できた。
この辺りで激しい雷雨になりしばらく雨宿り。雨が小降りになったところでのんびりと来た道をたどり、イシック谷へ戻った。この頃には空はまた晴れ上がり、爽快な夏の日に戻っていた。
スキー場で
ときどきスキー場でリフトから降りそこなって醜態をさらしているスキーヤーがいる。そういうのを見るたびに、ばかな奴めと心の中で嘲笑していた。私は、ベテランのスキーヤーだから、あんなばかなことは絶対しないと固く信じていた。
ところが…
カザフスタン国アルマティ市郊外のチンブラクスキー場には12月から4月までのシーズン中ほぼ毎週末出かけた。時にマイナス30度まで下がることもあるが、すばらしいパウダースノーと広々したゲレンデがとても気に入っていた。
その日も私はリフトに乗っていた。何十遍も繰り返してきたことだったので私の心に油断があった。スキーの終点近くで私はよそ見をした。そして、視線を前に戻したとき、リフトはすでに降りるべきところに到着しており、私の隣のスキーヤーはもう降りていた。私はあわてた。もうすぐリフトはUターンし、下へと降りていく。私はリフトから飛び降りたが、バランスを崩し、転んでしまった。
すぐに起き上がろうとするが、スキーを履いているうえ、下は凍結した雪なのでそう簡単には起き上がれない。後ろには次のリフトが迫ってくる。そこにはスキーヤーが乗っている。もし、私がそこでぐずぐずしていたら、次のスキーヤーも私につっかえて人間ピラミッドが出来てしまう。
私は、危険地帯を抜け出すため、必死の形相で四つんばいのまま前に突進した。どういうわけかスキーがぜんぜん外れない。だから匍匐前進はスキーを履いたままになった。他から見たら私のそのときの恰好はとても滑稽だっただろう。でも、私はそんなことにかまっていられなかった。
必死に前進し、ようやく危険地帯を脱する。私はほっと息をついて、初めて顔を上げた。
私のまわりにはたくさんのスキーヤーがいた。みんなそっぽを向いていた。でも、私は知っている。みんな私を見て笑っていたのだ。私が顔を上げる気配を察知してみんな一斉にそっぽを向いたのだ。
海外におけるネイティブ教師、ノンネイティブ日本語教師の役割
2021年の国際交流基金の調査によれば、海外で教える日本語教師74,592人中、61381人(82%)がノンネイティブ教師(NNT)、ネイティブ教師(NT)が13211人である。ここでは海外の日本語教育におけるNT、NNTの一般的な役割について考える。
- 教員に必要な属性
教員に必要な属性を考えてみよう。
1-1 NT、NNT両方に共通なもの。
1-1-1指導技術
1-1-2教授経験
1-1-3行動的特質
1-1-4情意的特質
1-2 NT、NNTによって大きく異なるもの。-
1-2-1 L1(学習者の母語)運用能力
1-2-2 L2(目標言語)運用能力
1-2-3 L1、L2の文化的知識
- L1とL2の能力について
NNTという概念は、2つの言語の介在を意味する。すなわち、L1とL2である。NNTであるということは、必ずbilingual でなければならない。
カザフスタンでNNTに関連し、興味深い経験をした。
カザフ人と結婚した台湾人が日本語教師に応募してきた。彼女は台湾では専門職であったが、結婚のため、キャリアを断念してカザフスタンに来た。彼女を応援したくて雇用したが、学生の評判がどうもよくない。説明がわからないとのこと。彼女の母語は学習者の母語ではない。だから、彼女は学習者の母語で説明できない。また、彼女は学習者とは異なる教育制度の中で育った。学習者と母語を共有しないNNTはL2教授に関し大きなハンディキャップを背負う。本稿でNNTは、学習者と母語、教育制度を共有する。ちなみに、生涯教育の教室などに一人だけL2話さない学習者が参加するとNNTはトラブルを抱える。
一方、NTがL1の知識を持つことは重要だが、必ずしもL1 能力は期待されていない。より重要なのは、教授経験と指導技術である。
- NNT
3-1 NNTの日本語能力
初級を教えるNNTも高い日本語能力が必要である。日本語能力が低いと、教室で不正確な日本語を話す。また、学生の文法、語彙、漢字などに関する質問に直ちに答えることができない。
3-2 NNTの指導技術
日本語の学習経験があるというだけで日本語が上手に教えられるわけではない。NNT もNT と同様、専門的な訓練を受けている必要がある。
3-3 指導技術の低いNNTの問題
3-3-1 訳読法
3-3-2 講義形式の授業(L1を使いすぎる)
ロシア人によるロシア語の授業を見たことがある。自分の日本語能力と文法的知識をひけらかすため、日本語でロシア語関連の文法用語をまくし立てるだけの授業だった。ロシア語の授業だからロシア人はNTに当たる。この場合はたまたま当該教員はL2を流暢に話したが、これと同じことをNNTはL1で行う。このような授業を受けても、学習者には文法用語以外何も残らない。
3-3-3「わからせる」だけで次へ進んでしまう。
3-3-4「覚えさせる」ための練習、「使わせる」ための練習をしない。
3-3-5 文型学習のみを行い、ディスコースレベルの練習を行わない。
3-4 指導技術の低い教師に習った学生は…
3-4-1 動詞の活用などのルールを知っていても、それを反射的に使うことができない。
3-4-2 話す能力(単文を発する能力、会話を継続するストラテジー)が十分に発達しない。
3-4-3 動機付けの維持をより難しく感じる。
3-5 平均的なNNTの長所
3-5-1当該国の教育制度に精通している。
3-5-2授業内外で困ったことを相談できる。
3-5-3 L1-L2間の翻訳、通訳を教えられる。
3-5-4学習者がどうして間違えるのかわかる。
3-5-5自身の学習経験を後進に伝える。
3-5-6 L1との比較でわかりやすく説明できる。
3-5-7学生が文法的に不正確な話し方をしてもわかる。
3-6平均的なNNTの短所
3-6-1標準的でない発音。
NonNative Speaker(NNS)はNS のように発音できるようになる必要はない。NNS の「外国語訛り」は民族的、文化的アイデンティティの表現であって、否定的なものではない。
日本語が国際化する今日、国内に「関西弁」「東北弁」「九州弁」があるように、海外に「ロシア弁」「イギリス弁」「フランス弁」があってもいい。そうは言っても、日本人が理解できないような極端な「外国語訛り」は受け入れられない。学習者の精進が緊要である。語学の勉強の多くがそうであるように、発音の学習も逃げ水のようなもので、学習を継続する限り「上がり」はない。
3-6-2不正確な日本語を話す、教える。
これらをできるだけ避けるため、NNT は高い日本語運用能力を持たなければならない。具体的には、日本語能力試験1 級より上が望ましい。。
しかし、海外の日本語教育では日本語能力試験1 級のレベルにまで及ばない教師が多く教えている現実がある。日本留学などを通して、日本語能力をさらに磨く努力を続けなければならない。
3-6-3教科書を離れて教えられない。
- NTの日本語能力
Native Speaker(NS)は日本語を話せるが、それについて明示的な、客観的な、分析的な知識を持っているわけではない(顕在的知識)。一般のNSは、母語についての知識は、未分化のままで、整理されておらず、対象化されていない(潜在的知識、黙示知、暗黙知)。それでも母語は話せる。NSは母語使用について、語彙的、文法的な直観を持っているが、ある表現がどうしてそうなるかを説明することができない。
日本語を教えるためには、専門的知識(言語学系、国語学系、音声学、教育学系)と教授技術が必要。NNTの場合、必要性を認めた時点で、授業の途中で、これらの専門的知識を学習し、L1で学習者に説明できる。
4-1指導技術の低いNTの問題
4-1-1語彙・文型のコントロールができない。
4-1-2学習者が、何を難しいと感じるかが全く理解できない。
4-1-3「わからせる」だけで次へ進んでしまう。
4-1-4「覚えさせる」ための練習、「使わせる」ための練習をしない。
4-1-5 文型学習のみを行い、ディスコースレベルの練習を行わない。
4-1-6(学習者の母語に頼りすぎる。)
4-2 一般的なNTの長所
4-2-1日本国内の正統と認められる発音をする。
4-2-2自然な会話を教える。
4-2-3日本語、日本文化に対する学生の関心を高める。
4-2-4日本語、日本文化のことをもっとよく知っている。
4-2-5教師を見ることによって、学習者がL2母語話者のことを理解できる。
4-3 一般的なNTの短所
4-3-1新出語、文法をL1 で説明できない。
4-3-2初級では先生の言っていることがわからない。
4-3-3 異文化の体現者として言動面で学習者に誤解を与える場合がある。
- 結論
NNTはL2 学習の成功者である。NNT は母語でない言語でも上手に話せるようになるということを学習者に示すことができる。彼は以前の学習者として、学習者を鼓舞する。また、学習者のニーズを敏感に感じ取り、必要なら学習の過程を修正する。必要ならL1を使って教師自身の学習についての経験を語り、日本語学習の「ご利益」を学習者に話し、教師自身が日本語、日本文化、日本語学習の面白さを学習者と共有する。NNTはNTにはない独自の視点を持つ。NNT-NT 間の協力は単に相互の欠点の補完に留まらず、両者の視野や能力の拡大につながる。
一方、海外の日本語教育においてNTは言語モデル、「正真正銘の」L2コミュニケーター、言語の情報源としてふるまう。また、彼は文化大使としての役割も担う。
外国語学習の目的は単に外国語を学ぶことではない。外国語学習の究極の目的は、学習者が知的な能力に成長し、異文化に対する寛容さを獲得することにある。NNTはNT